教会からのお知らせ

今週の週報後記は こちらから

 人は通常自分は生きているとしか感じられません。生かされているという感じは持てないのが普通ではないでしょうか。しかし生きている自分をよく見つめて見ると生きているという感覚もあやふやになってきます。健康に気をつけている。毎日の食事を考えてとっている。疲れすぎないように心がけているなどといいますが、それが生きていることの証になるでしょうか。心臓を自分で動かしているわけではありません。腸から吸収する栄養も私が吸収しているわけではありません。心臓や腸等の器官を動かしている主体は何なのでしょうか。
 人体のそれぞれの器官は個性的な働きをしています。にもかかわらずそれらが一致して私たちが健康に生きるために働いています。そうした力をスウェーデンボルグはコナトウスという語で表現をしています。これには努力とか推進力と言う訳語が当てはめられていますが、心臓が電気パルスで動き、腸で酵素が働いて吸収されやすいように食物が分解されているということが分かっていても、その力がどこから来るのかは分かっていません。しかし彼はここに霊的な力を想定して森羅万象を説明しています。
 車の部品を1台分用意できれば、大変でしょうが1台の走る車を作ることはできます。しかし人間の持っているすべての器官を用意したところで人間を生かすことはできません。コナトウスは目的に向かう力です。その目的を知ってそれぞれが自分の役立ちを果たすとき私たちの生は充実します。その目的に向かう力は霊的なものを起源としており、その力で生かされているということになると、生きているのではなく生かされているという人間の実体が分かってきます。それが分かると少しは謙虚になれるかなと考えるこのごろです。

2012年1月22日(日)牧師 國枝欣一
正月の数日前の朝日新聞の社説の下の記事に論説委員の一人が東京電力の若い社員に呼びかける文章がありました。今、その現物が手元にないので記憶を頼りに書いているので正確ではないと思いますが、その記事は多くの社員が事故処理のために働いていることをねぎらい、若い社員にこそ東電の改革と未来があることを期待し、励ましている文章でした。この呼びかけを読んでいてそこに血の通う人間の温かい言葉を感じさせられ感動しました。
 電力会社が原発の必要性を説き、電力の安定供給という社会的な使命を果たすために、安全神話をもとに、それぞれの職務を果たしてきた善意で誠実な社員も多くいるでしょう。そうした人々やその家族が肩身の狭い思いをしたり、自分や家族の将来に不安を感じている人達も多くいるはずです。
 日本の歴史の中で震災、原発事故の今は、敗戦と同様に大きな転換期となるでしょう。ところが現実には、政治の場面では党利党略が先行して、この危機にどのように一致して当たるか等の視点がなく、生活に困まり不安に感じている国民目線が殆どないように感じます。
 そんな時にふとイエス在世中のパレスチナを思いました。私たちはそれを霊的に捕らえますが、この時の私の感覚は歴史的なイエスを感じていたのです。ローマの傀儡政権ヘロデ王の圧制とユダヤ教支配の中で人々は苦しんでいました。理不尽に暴力を振るわれ従わされる、税の過酷な取立て。こんな中で出てくるのが、「1マイル行けと言われたら2マイル行ってやれ」、「上着を要求されたら下着も」、「右の頬を殴られたら左も」と言う考え方です。それらの背後には激しい怒りと怨念があることが推測できます。
 でも社説の下の記事は慈愛に富み、疲れているものを元気付け、奮い立たせる高貴なものを感じさせられました。

2012年1月15日(日)牧師 國枝欣一
正月の新聞にイタリア人の政治哲学者の今の時代をどのように読み解くかという見解が出ていました。今年はヨーロッパやアメリカの政治指導者の改選の年です。政治が経済の実態に追いつかなくなり、貧富の格差がますます広がり、先進国の通貨の信用力が下がるという現象が起きていると言うことが書かれていました。またこうした現象に関して未組織の異議を唱える人々が金融の一大都市ウォール街に繰り出し、社会の変革を要求しているという様なことも書かれていました。
 また6日のNHKラジオの朝の番組では今人気が出ている仏像ガールといわれている女性の仏様の話がありました。彼女は専門家である僧侶のような話し方ではなく今日的ことばで仏像を語り、仏教の歴史を語り、本人がそれらの仏像に関してどんな思いを抱いているか述べていました。
 前者と後者は一見全く別のことのように見えますが、専門家である政治家、経済学者や宗教家でない人々の語ることばの方が説得力を持っていると言うことを示しています。その人々の語る生活に根ざしたことばが多くの人の心を打ち、動かしているのです。そして人々は、安全と健康と幸せと平安を求めていると言うことが共通しているように思います。
 私たちは「新教会」を標榜し、旧教会を乗り越えることを目指して来ていますが、主観的にはそうであっても、実は外から見ると私たちこそ乗り越えられるべき集団になってしまっていないかという危惧を持ちます。「新教会」はチュニジアやエジプトの政権を倒した人々や、ウォール街に集まってテント生活をしているような人々の中や、震災の被災地でボランティア活動をする人々や、教義やしきたりにこだわらない形で心の安らぎを求めている人々の中に起こってきているのではないかと感じます。私たちの有り様を深く考え直さなければならない新年と感じます。させられました。

2012年1月8日(日)牧師 國枝欣一

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